2022年5月6日より公開中の川和田恵真監督・脚本、嵐莉菜主演の映画『マイスモールランド』が評判になりロングランされています。
そして、『マイスモールランド』、日本語のレビューでこの映画を鑑賞して感じたことを代弁してくれるものがないことに不満を持っていました。
なんというか、見終わった後、脳みそをかき回されて呆然とし、身体を鉛の海に沈められるような強烈な感覚を味合う映画なのです。
「俺は一体何を観たんだ(経験したんだ)?」と。
こういう感覚を味合わされる映画は滅多にありません。
この経験は何だったのか?を確認するために何度も映画館に足を運ぶ方もいらっしゃいます。
「俺は一体何を観たんだ(経験したんだ)?」について言語化してくれるレビューがない。ならば自分が書いてみましょう。
以下は『マイスモールランド』の映画鑑賞がパニック、トラウマ経験を生じさせる原因についての仮説です。
原因は、脳の情報処理が追いつかない、脳のキャパシティーがパンクすることにあります。
そして、この脳のキャパシティーのパンクは「言語環境」により起こっている。
具体的には、映画『マイスモールランド』を観ることは、単一言語、単一文化で暮らしている日本人が滅多に経験しない、多言語、多文化の構造の下でのライフイベントの破綻やパニックの仮想経験だということです。
『マイスモールランド』では一番最初に映画で使われる3つの言語についてのテロップが流れます。
①民族の言葉、②かつて暮らしていた国の言葉、そして、③現在暮らしている国の言葉です。
①がクルド語(おそらくクルマンジー方言)、②がトルコ語、③が日本語です。
映画の登場人物が、①から③までの言語のうちどれを解し、そしてどの言語を解さないかは、そのままその人物の生活史を表しています。
冒頭の最初の一家団欒の食事のシーンで、主人公サーリャと父マズルムがトルコ語で会話しているのを聞いた中学生の妹のアーリンが「また私に聞かれたくないことを話している」と不満を表明するシーンがあります。
中学生のアーリンは日本語を母語、第一言語として育ち、クルド語もトルコ語も解しません。
父マズルムがサーリャの将来の伴侶として故郷から呼び寄せ、同じ解体の仕事に就いているクルド人の青年ウェラットとの顔合わせを兼ねたベランダでのホームパーティーのシーン。
母が他界しているサーリャの母親代わりでもあるサヘル・ローズ演ずるロナ匕がトルコ語で話すのに対して、父マズルムとは同年代位の同僚が、「クルド語で話せよ」と言います。
それに対してロナ匕は「サーリャにもわかるように(トルコ語で)話しているの」と返します。
ここは重要なシーンです。
クルド人コミュニティの伝統的な家父長制の習慣に従って、父が勝手に自分の結婚相手、すなわち人生を決めようとしている。
5歳の時から日本の自由な文化で育った主人公サーリャは、この「婚約者」との顔合わせのパーティーに強いストレスを感じているはずです。
自分が聞き取ることのできない、理解できない言語で、自分の人生を左右する重大な内容が話されている。
交わされている言葉を解せないのに、非言語情報(その場の情勢)から何が話されているか全身の注意力を発揮して集中せざるを得ません。
その時、人は非常に強いストレスを感じるのです。
単一言語、単一文化で生活してきた日本人には、多言語と多文化の構造により成っている『マイスモールランド』を一回観ただけでは、使われる言語が目まぐるしく変わるこの映画の構造に脳の処理が追いつきません。
アバターのように感情移入した「清く正しく美しい主人公」サーリャの不安や苦悩や悲嘆の表情から、構造がわからないまま強いストレスが転移する。
それが、『マイスモールランド』を観ると、「俺は一体何を観たんだ(経験したんだ)?」と、ROTH BART BARONの主題歌が流れるスタッフロールが終わった後も、座席から立ち上がれず、茫然自失し、へたり込んでしまうような感覚を味合う原因ではないでしょうか。
現実の世界に目を転じると、2021年の冬から2022年の現在も尚続いている深刻な人権危機として、ベラルーシからポーランドへの不法入国を図ろうとする難民の問題があります。
報道によれば、シリア出身者よりむしろイラクのクルド人自治区出身者の占める割合が多いようです。
「イラクのドバイ」と呼ばれ急激な経済発展を遂げたエルビルを首都とするイラク・クルド人自治区(KRG)は、当然ながら石油を始めとする資源にも恵まれ、経済的に豊かな地域と思っていました。そのため難民としてEUを目指す人が多いと聞き意外に思いました。
イラン、イラク、トルコ、シリア等にまたがるクルディスタン地域は、中国の「一帯一路」の施策上も重要視されている豊富な天然資源を持つ経済発展のポテンシャルの高い地域なのです。
しかし、どうもイラク中央政府とクルド人自治区(KRG)の関係がうまくいっていないらしく、給与遅配が続き、「暮らしていけない」とばかりEU入りを目指し難民化する人が続出しているらしいのです。
冬季のベラルーシとポーランド国境で軽装備で国境超えの機会を探り寝泊まりすれば当然、凍死、病死などが起こりますす。
そして、ベラルーシでもポーランドでも、イラク・KRG出身者が言葉が通じると思えません。
使われる言葉が次々の切り替わっていく環境で、自分はその言葉を理解できず、生き残る可能性を掴むために全身の注意を集中する。そのような強いストレス環境下で、肉親との死別のような重大な喪失体験に次々と見舞われていく。
これが、人が難民化、流民化した時に直面することです。
そして、単一言語、単一文化の中で庇護され生きてきた日本人にはこのような状況を想像したり理解したりすることはできません。
つまり、映画『マイスモールランド』とは、観ることによって、日本人が理解できない流民化、難民化した時に起こる喪失体験や強いストレスを、脳と感情の相当深いところで仮想経験させる恐ろしい構造を持った映画なのです。
■ Rojda - Hey Lê Lê
個人的には映画『マイスモールランド』の最重要なメッセージは、ティグリス川(クルディスタン)と荒川(ワラビスタン・川口)の上流(秩父・長瀞)での統合(インテグレーション)、止揚(アウフヘーベン)ではないかと感じましたがどうでしょう?
・恐ろしい映画ですが主演の嵐莉菜は圧倒的に美しい。国際的なスターになることを期待します。