このブログで、あいみょんの「マリーゴールド」と「メダロット2」ゲーム音楽が相似しているという指摘があることについて書きました。
また、日向坂46の「キュン」と倖田來未さんの「Lady Go!」の相似が一部で指摘されている件についても触れています。
どちらのケースも、邦楽(J-POP)の楽曲が、別な日本の楽曲に似ているという指摘があったケースです。
数多くある邦楽→洋楽のパクリ疑惑については、ここでは触れません。
邦楽の洋楽パクリの方というのは、そのまま邦楽形成史でもあります。
かつて、ブレイクしたころ、佐野元春さんが当時リリース済の全曲について、佐野元春さん自身が解説しているムックがありました。
そこで、レコード会社と新人シンガーソングライターとの間の攻防のあれこれについて書かれている内容が参考になりました。
洋楽のスタンダードナンバー、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」のアレンジを、佐野元春さんのオリジナル楽曲にほぼそのまま着せている楽曲があります。
(佐野元春さんの「ヴァルセロナの夜」、「Good Times & Bad Times」という曲)
当時、無名のシンガーソングライターの主張が、大手レコード会社の意見に対して通るはずもなく、レコード会社側(ディレクター等)のアレンジ案をのまざるを得ない様子が書かれていました。
邦楽の歴史ともいっていい、パクリ・オマージュ・インスパイア等の洋楽からの影響は置いておいて、最近(ここ数年)指摘の多い、邦楽→邦楽の似ている指摘について書きます。
邦楽(J-POP)の特色は、メロディー重視という点です。
ヒット狙いの邦楽は、特にサビと呼ばれる、クライマックスに来ることが多い、情緒的な盛り上がりパートの良しあしの出来不出来、いかに情緒的に感傷的に盛り上げるかにかけています。
(この盛り上がりメロディーを曲の頭に持ってくること『サビ先』もあります)
メロディー重視の邦楽に対して、ズバリ、ロック、ジャズ、ブルース等の洋楽は、メロディーがなくても成立するのです。
楽器隊(バンド)が、「1つのコード(和音)や3つのコード(和音)の進行でいくぞ」という同意もしくは阿吽の呼吸で、「せーの」で、ジャカスカ、ドンチャカやっています。その楽器隊の音の上で、 フロントマン(リードボーカル)が 『ンー』とか 『アー』とか 『イェー』とか やってれば1曲になります。
まさに『一丁上がり!』 。
アルバム10曲中8曲そんな曲(ドンチャカ「ンー」「アー」の組み合わせ)で、1曲昔の曲のカバー、1曲バラードという構成でOKなのです。
あるいは、ドンチャカ「ンー」「アー」「ギュイーン」(ギターソロ)の組み合わせを20分に引き伸ばしてアルバム半面1曲でもOK。
ところが、邦楽(J-POP、邦ロック、歌謡曲)でヒット曲を狙うためにはそうはいきません。
サビ(盛り上がり)での情緒的、感傷的、感動的なメロディ―ラインを可能にするいくつかの特定のコード進行(和声進行)を基にメロディーを作曲するパターンが多くなります。
邦楽界は、この日本人好みの情緒的、感傷的、感動的なメロディーラインを可能にするいくつかのコード進行(和声進行)に基づく作曲に依存しすぎるという指摘が以前からあるのです。
特定のコード進行の上に乗せて、日本人好みの情緒的、感傷的、感情的なメロディ作曲することによって、メロディーが出尽くして、似ているメロディーだらけになり、邦楽→邦楽のパクリ騒動が頻発するだろうとずいぶん前から『予言』していた人がいます。
「焼き畑農業」型の作曲一色になることで、次に耕作する森林を残さず焼き尽くし、収穫しつくして、次に耕す畑がなくなる(新しいメロディーがでなくなる、枯渇する)ような現象が起こるだろうという指摘です。
その、メロディー出尽くし(全森林焼き尽くし)への危機感を強く訴えていたのは『音極道』さんです。
以下の記事の「王道進行」で、音極道さんの公式チャンネルへのリンクがあります。
あいみょん「マリーゴールド」がメダロット2ゲーム音楽に似ているという指摘の件は、調べてみるとよく似たメロディーを持った曲が複数(4,5曲くらい)出てくるという結果になりました。
また、数年前、The STROBOSCOPE「アイオクリ」がnano.RIPE「影踏み」に似ていると指摘があり、The STROBOSCOPE、miwaとnano.RIPEとamdropの3者のファンが緊張したことがありました。
「アイオクリ」と「影踏み」が似ているという指摘の件も、調べてみると似ている曲がたくさん(4,5曲くらい)出てくるという結果になりました。
これらは、パクった、引用したということではなく、日本の市場でのヒットに焦点を当てると似たメロディーが頻出し、結果としてパクリ騒動が頻出してくるという、焼き畑農業で次耕作地を残さず焼き切ってしまったという現象かもしれません。
ブルースにしてもユーロビートにしても演歌にしても、『型』にはまった、はめた音楽の場合、「メロディーが似てるけどそんなものだろう」という受け止め方が必要です。
J-POP、邦楽の情緒的、感情的、感傷的なメロディーは、その域に入ってきているのかもしれません。
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