BAND-MAIDのメジャー3rdシングル「start over」(2018.7)を最初に聴いた時、正直驚きました。
「これって、黒人音楽(ブラック・ミュージック)じゃね?」
BAND-MAIDのファンは、演者・聴衆とも白人が占めるHR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)ファンからスライドしてきている層が多いはずです。その層が最も違和感を感じ苦手とするタイプの音楽がブラック・ミュージック(黒人音楽)なのです。
ずいぶんとチャレンジングなことをするなぁと感じつつ、確信が持てるにはいたっていませんでした。50年以上、白人でありながら黒人音楽を取り込んだ音楽を続けてきたローリング・ストーンズ等を聴きつつ、考えていました。(ローリング・ストーンズはベースのビル・ワイマン脱退後サポートに黒人ベーシストを迎えツアーをしています。)
例の精神分析の専門家の方が唱えるBAND-MAID = ドゥービー・ブラザーズ =(ロック × ブラックミュージック)ミクスチャーロック説を読み、なるほどと感じるところあった次第です。
たまたま、引き合いに出したのが黒人ベース奏者のベテラン白人ロックバンドと、クルギャン(クール&ザ・ギャング、アメリカのブラックコンテンポラリー、ファンクの人気グループ、個人的に「start over」の引き出しの一つはクルギャンの「celebration」かなと感じました。)と共通していたもので。
そんなわけで、BAND-MAIDのシングル「start over」の音源が解禁された時、海外のSNSを見ると、自分が想像した通り、HR/HM系ファンの戸惑いの反応が目につきました。
ブラック・ミュージック(?)的な音源に対し、自分(HR/HMファン)の望む音楽でない=ポップととらえ、「これじゃない。」というクレームです。
そういったネガティブな反応に対しては、穏健派・良識派のベテランHR/HMのファンが、「彼女たちも活動を続けるためには、総合チャートで良い成績を残さなくてはならないのだから、売れ線(ポップ)のシングルを出すことは受け入れるべき。」と諭すことになります。
BABYMETALのプロデューサーのKOBAMATALさんの場合、 アイドルポップスとメタルの融合というのは、緻密な計算に基づいてやっていると感じます。
例えば、『ヘドバン』等の媒体で、 BABYMETALのコンセプト・楽曲の背景となったようなヘヴィメタルのレコードのリストを紹介したりしています。それらのリストを見ると、異教信仰・ネオペイガニズム等のヘヴィメタルのコンテクスト(文脈)・文化を知り尽くし、それに則ってBABYMETALの神話を創造しているとわかります。
ヘヴィメタルのコンテクストを知り尽くし愛聴するKOBAMETALさんだからこそ、アイドルポップスをメタルとミックスすることによるHR/HMコミュニティからの反発も想定済みだと想像したのです。
BAND-MAIDの場合、HR/HMコミュニティがのけぞるようなファンキーなポップ曲をいきなり出したりすることは、計算ずくなのか偶然なのか読めないところがあって、そこはなかなかにパンクだなと感じます。
もしかしたら、本当に偶然なのかもしれません。
そこで、ドゥービー・ブラザーズです。
ドゥービー・ブラザーズの音楽性はとてもボーダーレスで、ポピュラー音楽の範疇ならば、どんなスタイルの音楽演ってもOK的なノリがあります。
ロックファンから戸惑い気味のリアクションが強かったドゥービー・ブラザーズ(解散前)のラストアルバム『ワン・ステップ・クローサー』を自分は結構好きで、AOR、フュージョンさらにはラテンとなんでもありのガンボ(ごった煮)感はなかなか良いなと。
しかし、このガンボ(ごった煮)感『ポピュラー音楽なら何でもあり』的ノリは、単一のジャンル・カテゴリを強く支持する音楽ファンには戸惑いを感じさせ受け入れがたいものかもしれません。
ドゥービー・ブラザーズ同様にいろんなタイプの楽曲を演るタイプのバンドでも、ジャズ・フュージョンやプログレッシブロック畑のミュージシャン、バンドの場合、まず、緻密な計算があります。
ドゥービー・ブラザーズは、計算しているようには思えないんですよね。
だいたいバンド名のニュアンスに『〇っば決メて愉しくやろうぜ兄弟!』ありませんか?
計算することを完全に拒否してます。
基本、「考えるな、感じろ!」がテーゼのバンドのように思います。
トム・ジョンストンのブルース・ハープも豪快な「ロング・トレイン・ランニング」と、『ワン・ステップ・クローサー』収録曲で、中波ラジオ放送の『ところによっては交通情報です。』のあとにかかるBGMとして最適なフュージョン曲の「South Bay Strut」を演奏するバンドが、同じバンドである必然性は全くありません。
考えるバンドやミュージシャンであったら、著しく違うスタイルの音源は、別名義のソロやサイドプロジェクトで出して、本体ブランドでは、流通もファンも確立しているカテゴリ宛に的を絞って確実に当てていく方が商業的な勝算が立てやすいはずです。
(例えば、RADWIMPSの野田洋次郎さんのソロプロジェクト『illion』はそんな感じでしょうか?)
ドゥービー・ブラザーズ本体、派生バンドのカントリーロックのサザンパシフィックともにアメリカで高い人気を持ちながら、一部のメンバーが、アメリカでは当時ほぼ無名の日本のロック歌手矢沢永吉さんと意気投合して、十数年間も、一年間のうち結構な時間を使って日本での演奏活動を行っていたのも、計算でなくて彼ら(ドゥービー・ブラザーズ)が愉しいと感じたからじゃなないかと思っています。
ドゥービー・ブラザーズと矢沢永吉さんは、それぞれ、日本で武道館を数回埋めるファンベースを持っていますが、両者のファン層はほとんど重複していなかった感があります。
矢沢永吉さんのバックをかためたドゥービー・ブラザーズ組は、異文化の背景を持つ観衆に向けてロックンロールを演ることを愉しんでいたのかもしれません。
ビジネス(売上、動員)を第一に考えたら、例えば、『ウェストコーストロック』とか『サザンロック』といった枠(カテゴリ)に自らのストライクゾーンを設定して、ギリギリを使ったりど真ん中(リード曲)投げたりしながら、ゾーンでビジネスした方が賢そうです。
でも、ドゥービー・ブラザーズは、ストライクを待っているバッターに対し、大暴投を投げるみたいな音楽性の歴史です。
ドゥービー・ブラザーズというバンドは、考えること、計算することを超越し、感じることによって音楽を創作しているから、いろいろな顔を持ちながら、同じバンドとして続けられたのではないかと。
〇っぱとハーレーにまたがった自由で反権威的なバイカーのノリ(?)によって、社会的だったり人種的だったりの社会規範やタブーに縛られない自由を手に入れるのがドゥ―ビー・ブラザーズの音楽なのかもしれません。
そういうややこしい手続き抜きで、(海外から見れば)異形のコスプレをして、楽器を持って、おまじない一発で、西欧社会の社会規範やタブーだったり人種的な問題から、「フリー」になれるなら、BAND-MAIDのロックンロールは外人さんから見ても、なかなかカッコいいんじゃないかと思います。
【音源で振り返るドゥービー・ブラザーズ】 (『 』)は楽曲収録オリジナルアルバム、数字は発表年。
◇「Listen To The Music」(『Toulouse Street』1972)
https://www.youtube.com/watch?v=-07Bv3mRO7o
◇「Long Train Runnin'」 (『The Captain And Me』1973)
https://www.youtube.com/watch?v=CVsLEI-hCXw
◇「China Grove」(『The Captain And Me』1973)
https://www.youtube.com/watch?v=RX7iHsAIw9o
◇「You Belong To Me」 (『Livin' On The Fault Line』1977)
日本のポピュラー音楽(ニューミュージック、シティポップ・AOR、アイドル歌謡等)がマイケル・マクドナルドの巨大な影響を受け入れたステップには第一波、第二派、第三派のような段階がありそうですが、第一波はカーリー・サイモン/マイケル・マクドナルド作ドゥービー・ブラザーズ「ユー・ビロング・トゥ・ミ―」を参照元として、歌謡曲の偉大な作曲家筒美京平さんが大橋純子さんの「たそがれマイ・ラブ」(1978)を書き、大ヒット(オリコン2位)させ、”ドゥービー・ブラザーズ/マイケル・マクドナルドサウンドをベースにした歌謡曲・ニューミュージック”という楽曲スタイルを確立したことでしょう。
ちなみに、”参照”は本場アメリカのポピュラー音楽界でもものすごくて、ドゥービー・ブラザーズの「What a Fool Believes」にそっくりと話題になった有名なロビー・デュプリーのヒット曲、”気分は一瞬で『たまらなく、アーベイン』(田中康夫著)”な「Steal Away」(1980)のアレンジは、はたして制作時に本人は納得していたのだろうか?と思うこともあります。これが第三派でしょうか。「本場(アメリカ)でもありなんだ。」と業界人はお墨付きを感じたかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=TYo5-EUE65E
◇Echoes Of Love [Farewell Live Tour Version] (『Farewell Tour』1983)
これがドゥービー・ブラザーズのハーモニー。『フェアウェル・ツアー・ライブ』より、オリジナルは『Livin' On The Fault Line』(1977)収録。
https://www.youtube.com/watch?v=T5J4VmSxePs
◇「Open Your Eyes」(『Minute By Minute』1978)
グラミー賞受賞アルバム『Minute By Minute』収録。
マイケル・マクドナルド期ドゥービー・ブラザーズの『Livin' On The Fault Line』、『Minute By Minute』の2枚のアルバムが、日本の歌謡曲・ニューミュージック・シティポップ(AOR)・アイドル歌謡に与えた影響は計り知れません。
2018年に海外で人気の日本の1980年代シティポップ(AOR)、アイドル歌謡群にもマイケル・マクドナルドのドゥービー・ブラザーズの影響があるものは数多くあります。
シティポップ(AOR)の雄、杉山清貴とオメガトライブは、アマチュア時代ドゥービー・ブラザーズのコピーバンドをされていましたし、稲垣潤一さんもドゥービー・ブラザーズの楽曲のカバーをされているようです。(稲垣潤一さんの「雨のリグレット」は日本の『マイケルマクドナルド歌謡』の最高峰の楽曲一つです。)
「Open Your Eyes」は、米ベテラン歌手("Midnight at the Oasis"の)マリア・マルダーによるカバーあり。他にもR&B系女性歌手によるカバーも聞いたことがあるような気がしますが判明しませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=EBVB7a94O_4
◇「What A Fool Believes」(『Minute By Minute』1978)
ユーミン(松任谷由美さん)も(イントロから)衝撃を受けたという大ヒット曲。日本の歌謡曲、ニューミュージック、シティポップ、アイドルポップス等に巨大な影響を与えました。
https://www.youtube.com/watch?v=qKYQNtF11eg
◇「South Bay Strut」 (Instrumental) (『One Step Closer』1980)
左端が1982年から1996年にかけて矢沢永吉さんのバックバンドの要だったギタリストのジョン・マクフィー。最前の髭面が同じく『P.M.9 1982 E.YAZAWAツアー』 はじめ矢沢永吉さんのバックで好演していたドラマーのキース・ヌードセン(故人)。ジョン・マクフィーとキース・ヌードセンは、「サザン・パシフィック」というカントリー・ロックのバンドを組み、ドゥービー・ブラザーズと並行して活動しアメリカで人気を得ていました。
https://www.youtube.com/watch?v=3yhVAQEmfvU
◇Tonight I'm Coming Through (The Border) (『Cycles』1989)
オリジナルはドゥービー・ブラザーズのボビー・ラカインドとマイケル・マクドナルドが日本のロック歌手矢沢永吉さんに書き下ろした「THE BORDER」(1984)。再結成後のアルバム『Cycles』にドゥービー・ブラザーズ版が収録されました。
https://www.youtube.com/watch?v=KcA9K-cHldY
それでは。
◇最近(2018年)のマイケル・マクドナルド、ボビー・コールドウェル系では、彼(NONTO TANONT)が声もルックスもイケメンでかなりいい感じです。マイケル・マクドナルドにカバーしてほしい位。ちなみにアメリカのAORの雄ロビー・デュプリーは、日本のマッキーこと槇原敬之さんの「花水木」(名曲!)を英語でカバーしています。タイポップも今後アメリカ本場ソウル・AOR人脈とコラボして世界に売り出して欲しい。