先日のブログで、アメリカのハードロックバンド、ヘッド・イーストについて触れています。
個人的には、Guns N' Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)の名曲「November Rain」は、ヘッド・イーストのバラード「Dance Away Lover」の影響も受けているのではないかという気がしたこともありました。実際は、たぶん、レーナード・スキナードの「スウィート・ホーム・アラバマ」に通じるような、アメリカンハードロック/サザンロックの典型的な曲調なのでしょう。
◇プロデューサーのアル・クーパーとレーナード・スキナード「スウィート・ホーム・アラバマ」
どうも、アメリカのロック、ハードロックにおいて、『カントリー・ミュージックのノリ』というのは、決定的に重要なようです。
『カントリーのノリ』、(アメリカのロックにおいては)『鉄の音がするか(ロックらしい歪みながら破綻せず成立するギターの音色のこと?)』が鍵ということを聞いたことがあります。
また、もっと先日のブログエントリで、アメリカを代表するロックバンド、ドゥービー・ブラザーズとは、“肉体派”、”感性派”、“考えない系”だというような大変失礼なことを書きました。
しかし、現実には、全員が考えない系の集団であれば、打ち上げ花火のようにロックンロールすることはできても、いきづまって長く存続できないこともあるように思えます。
確かに、ドゥービー・ブラザーズの基本姿勢とは、『感性』と『行動』を重視する『考えるな、感じろ!』の気がします。しかし、同時に、それを支える知性や理性も備わっていたのではないかと前言を補足します。
ドゥービー・ブラザーズは、(途中解散によるブランク期間はあるものの)1971年のデビューから、半世紀近く現役として音楽ビジネスを続けられているのです。
そして、現在のドゥービー・ブラザーズの感性・肉体派がトム・ジョンストンだとすれば、豪快にロックンロールしながらも、知性派・理性派の役割を担うのはジョン・マクフィーかもしれません。
掲題の『トム・ジョード』とは、どうも(アメリカの)ロックを理解するための重要概念のようです。
ジョン・スタインベックによって『トム・ジョード』が書かれたアメリカの歴史、社会、産業、移動の背景について、下記のインタビューで、ジョン・マクフィーが自らと家族の歴史(ヒストリー)をもとに熱く語っています。
学校で『アメリカ文学』とか『アメリカ近現代史』、『アメリカン・ポップカルチャー』等の講義を受講したり、関連する本を読んでも、当事者の経験として実感することはできません。
ジョン・マクフィーの両親は、ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」のストーリーさながらに、「アメリカ中西部からカリフォルニアに出て来てカリフォルニアで出会った。」「カリフォルニアには(中西部から持ち込まれた)カントリーミュージックが流れていた(盛んだった)。」「自分のルーツはカントリー・ミュージックだ。」と、話しています。
ジョン・マクフィーのこれらの回答を引き出しているのがインタビュアーの山崎智之さん。
その質問が以下です。
<引用開始>
●スタインベックの小説『怒りの葡萄』やブルース・スプリングスティーンの「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」にも描かれていますが1930年代、砂嵐で農業が壊滅状態に追いやられた“ダスト・ボウル”のせいで、オクラホマなど中西部の人々が多数カリフォルニアに仕事を求めて移住したそうですね。その時代にカントリー音楽もカリフォルニアに持ち込まれたという話ですが…。
<引用終了>
いや、この山崎智之さんというインタビュアーの方、「(歴史とロック音楽を)解ってらっしゃるな。」と思ったら、「ロックで学ぶ世界史」という本を出されている方でした。なるほどですね。
で、インタビュアーから、上の太字の質問をぶつけられたら、ジョン・マクフィー、堰を切ったように、自分と両親のライフスト―リーを話し出します。
<引用開始>
その通りだ。私の母はアーカンソー、父はオクラホマ出身で、カリフォルニアに移住してきて出会ったんだ。
<引用終了>(以下、ジョン・マクフィーのルーツであるカントリーミュージックについての説明が延々と続く。)
山崎智之さんがどういう方なのか全く存じ上げないのですが、上記のやり取りにおいて、優れたカウンセラーとしてのスキルを発揮されています。
人は、その人にとって決定的に重要な質問を投げかけられた時、自分のストーリー(歴史)を語り出すのです。
とんちんかんな相手に対して、最も重要なコア(核心体験)を開示し、ヒストリーを話すことはありません。
上記の山崎智之さんとジョン・マクフィーの質疑応答から、ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」の背景、ジョン・スタインベックと同時代のフォーク歌手ウディ・ガスリーが歌った「ダスト・ボウル・バラッズ」の『ダスト・ボウル』とは何か?ということが見えてきます。
<日本語版wik『ダストボウル』より引用開始>
ダストボウル(英語: Dust Bowl)は、1931年から1939年にかけ、アメリカ中西部の大平原地帯で、断続的に発生した砂嵐である。
(中略)
リンク先:日本語版wikipedia『ダストボウル』写真
※筆者注 ジョン・マクフィーの両親は、若く2人が出合う前、アーカンソーとオクラホマで『ダストボウル』に被災し、生きていくために(おそらく双方とも家族ごと)、カリフォルニアに出てきたのでしょう。
(中略)
世界恐慌に加えてこの災害の被害を受けたことで、テキサス州、アーカンソー州、オクラホマ州などグレートプレーンズでは多くの土地で農業が崩壊し、農家は離農を余儀なくされた。350万人が移住し、多くは職を探しにカリフォルニア州などの西部へ移住した。
移住は非常に大規模であった。オクラホマ州では15%の人口がカリフォルニア州だけではなく、テキサス州、カンザス州、ニューメキシコ州へ移住した。オクラホマ州からの移住者である彼らは、少なくとも30万から40万人と見積もられる。彼らは「オーキー(英語版)(Okie)」と呼ばれ、この呼称は現在でもまだ軽蔑的なニュアンスで使用される。
<引用終了>
ここにもまた、”軽蔑的”、つまり『差別』されていた(現在でもなお続いている)というニュアンスが出て来てしまいます。国を問わず、ポピュラー音楽(大衆音楽)を注視するとき、『差別』と『社会の分断』という目に見えない構造が理解するための鍵になっていることがしばしばあるのです。
漠然とですが、農業が壊滅し、生活基盤の全てを失って、生きるために、中西部から質素なみなりで(長距離移動第一で身なりに構う余裕などなかったことでしょう。)、カリファルニアへと移住してきた元農民達。カリフォルニア先住者の眼には、彼ら”オーキー”は、『ぼろをまとった(国内)難民・移民』として写ったのではないでしょうか?
そして、彼らが持ち込んできたカルチャー・音楽であるカントリーミュージックは、もしかしたら、先住者からは、貧しい何も持たない難民の文化として、軽蔑的な目で見られていたのではないかということです。
おそらく、アメリカに住んでいないと、カリフォルニアにおける中西部出身者への視線やカントリーミュージックの社会的位置づけの詳しいニュアンスは極めてわかりにくいことなのでしょう。
また、日本映画の名作、山田洋次監督の『家族』(1970)は、ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を下敷きに作られています。過酷な長旅の疲労で体力の無い高齢者(主人公の親)や赤ん坊が亡くなっていく描写は「怒りの葡萄」と共通しています。
トム・ジョード一家がたどったオクラホマからカリフォルニアへのルート66の旅は、約2,800キロメートルありました。(直線距離は約2,500キロメートル)
山田洋次監督の映画『家族』の中で、炭鉱で働いていた主人公の風見精一が、廃鉱に伴い、故郷長崎県伊王島を離れ向かった北海道標津郡中標津町の開拓村まで列車に乗った距離は、約3,000キロメートル(現代の北陸自動車道経由の距離は約2,500キロメートル)です。このことからも山田洋次監督の「怒りの葡萄」へのオマージュ、リスペクトが感じられます。
ボブ・ディランに多大な影響を与えた。
(中略)
オクラホマ州オケマーに生まれる。名前は同年の選挙で大統領に選出されたウッドロウ・ウィルソンの名にちなんでつけられた。14歳の時、母親が死去し、一家は離散し17歳だった彼は、アメリカ中を一時雇いの労働者として放浪。バーや労働者のストライキの時の組合の集会などにかかわって小金を稼いだ。19歳のときにテキサスへ行ったが、そこで彼は最初の妻メアリー・ジェニングスと出会って結婚し、3人の子供たちをもうける。しかし彼は、ダストボウル時代の到来とともに、カリフォルニアに移住するオクラホマ州人のオーキー(英語版)(季節労働者)の後に従って、テキサスに彼の家族を残して旅立った。これらの若い時期の旅行で見た貧困はのちの彼の作品に大いに影響を与え、彼の歌の多くが労働者階級が直面する状態に取材している。
<引用終了>
アメリカのフォーク、カントリー、ロックを理解するうえでキーワードになる(ロックにもしばしば出てくる語彙や概念)であるホーボーやトム・ジョードとはこういった歴史背景から必然として音楽に取り入れられているのではないでしょうか。
上記のジョン・マクフィーのインタビューに出てくる背景を知ると、1930年代のジョン・スタインベック、ウディ・ガスリーから、現代のスーパースターであるボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンらにいたる現代20世紀アメリカ文学・ロックの主要な流れがおぼろげながら見えてくる気がします。
そして、現代(2000年以降)においても、オルタナティブ・メタルのRATM(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)は、何であんなに怒っているのか?何に対して怒っているのか?なぜ、RATMは、ブルース・スプリングスティーンの「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」をカバーするのか?そして、なぜ、ブルース・スプリングスティーンとRATMは「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」をデュエットするのか?そして、なぜ、日本の竹原ピストルさんがジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」から着想を得て、「トム・ジョード」という曲を書いて歌っているのかという問いに対する答のアウトラインが姿を表してくるような気がします。
◇エルヴィス・コステロ & マムフォード&サンズ「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード&ド・レ・ミ メドレー」
ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」とウディ・ガスリー「ドレミ(Do Re Mi)」(『ダスト・ボウル・バラッズ』収録)メドレー
冒頭、エルヴィス・コステロが、『ブルース(スプリングスティーン)が・・・、1930年代、1940年代(時代背景)・・・、(ジョン)スタインベックが・・・、ウディ・ガスリーが、と曲の背景について解説しています。」
ジョン・マクフィーは、クローヴァー(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの前身)時代、パンクが燃え盛る真っただ中のロンドンに、外国人労働者(バンド)として出稼ぎに行き、エルヴィス・コステロの歴史的1stアルバム『マイ・エイム・
世界広しといえども、一際個性が強く突出しているエルヴィス・コステロと矢沢永吉さんの2人にバックバンドの要として仕えられた(る)のはジョン・マクフィーただ一人でしょう。
◇ジョン・マクフィー インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=nQWYQpb6zcc
◇『怒りの葡萄』ルート解説
◇映画『家族』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=F6Zu9NwWDZ0
◇『家族』ルート解説
◇トム・ジョードとは?
◇ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」歌詞
◇ウディ・ガスリー「ドレミ(Do Re Mi)」歌詞