エアロスミス、個人的な一曲は、鬼気迫る”幽鬼の楽団!”がこの世とあの世の境、生死の淵から絞り出した感のある「ドロー・ザ・ライン」(1977年)の緊張感が好きです。
時代は下って、エアロスミスが2013年に日本のヒューマンビートボクサー/YouTuber(ユーチューバー)のHIKAKIN(ヒカキン)さんとコラボしたラップ・ロック(ミクスチャー・ロック)の古典、「ウォーク・ディス・ウェイ」には衝撃を受けました。
まず、ミレニアル世代を対象としてシンガポールで開催された「Social Star Award」で、エアロスミス×HIKAKIN(ヒカキン)のコラボが大成功したわけです。
しかし、日本の大阪公演の観客はHIKAKIN(ヒカキン)さんを知らない中高年のロックファンも多い完全アウェイのはず。HIKAKIN(ヒカキン)さんはもちろん凄い。そして、彼をステージに上げてコラボするエアロスミスも凄いものだと関心しました。
エアロスミス、本国アメリカと日本で人気の高かった1970年代半ばから後半にかけて、ヨーロッパではまだ人気が出ませんでした。
一方、日本ではクイーン、キッス、エアロスミスはアイドル的人気を誇っていました。(「ミュージック・ライフ・クラブ」というホームページに詳しいです。)
イギリス・ヨーロッパでは、エアロスミスは、ローリング・ストーンズ等のイギリスのロックバンドのクローン(日本語で言う“パクリ”)と見做されてしまっていたのです。
エアロスミスは、ヨーロッパ市場開拓中、ロックフェスティバルで観客の醒めた反応にさらされたことがありました。
その時、スティーブン・タイラーは、「俺たちは、熱いホットケーキの上に乗った冷たいバターさ。溶けるまで時間がかかるのさ。」と敗軍の将、戦を語っていました。
□本日聞いたCD
『GEMS ~The Best OF Aerosmith’s Hard Rock Hits!』
『ROCKS』AEROSMITH
『DRAW THE LINE』AEROSMITH
『GET YOUR WINGS(飛べ!エアロスミス)』AEROSMITH
『NIGHT IN THE RUTS』AEROSMITH
エアロスミスの楽曲「NOBODY’S FAULT」や「ROUND AND ROUND」って、アルバムから抜き出して単独の一曲として聴くと、ストレートにレッド・ツェッペリンです!
サビに差し掛かるにつれ、独特のエアロ節、バンド固有の癖が顔を出してくる感じですけど、やろうとしたのはレッド・ツェッペリンタイプのハードロックですよね。
ディスってるわけではないんです。レット・ツェッペリンタイプのハードロックは大好きなんです。下手なバンド、センスのないバンドではレッド・ツェッペリン風を決めようしても破綻してしまって出来ません。エアロスミスの曲はカッコいい。
バンドのスタートって皆なそんなものでしょう。最初は模倣からスタートする。そして、いいバンドはいい模倣ができる。模倣の中にも、隠し切れないそのバンドの固有の癖が出て来て、そのバンド独自の魅力が形作られていく。
1970年代半ばのエアロスミス、代表曲がヤードバーズの「トレイン・ケプト・ア・ローリング」のカバー。ボーカル(フロントマン)のパフォーマンスがミック・ジャガーの影響を感じさせるもの。楽曲にはレッド・ツェッペリンのパ〇リ(英語ではクローンと言います)風もあったりする。
全部イギリスのロックのパ〇リじゃないか!というのが、1970年代半ばのイギリス・ヨーロッパの音楽メディア、ロックファンのエアロスミスに対する見方だったのでしょう。
『唇の形までミック・ジャガーの真似してんじゃねぇ!』とまでくると、ほとんど言いがかりですよね。
数々の毀誉褒貶と解散、再結成を経た数十年後の2009年。
ジミー・ペイジをはじめとするレッド・ツェッペリンのメンバーは、離脱したロバート・プラントに代わるボーカル候補を探していました。
そして、スティーブン・タイラーに白羽の矢を立て、オーディションを兼ねたセッションを行ったのです。
しかし、スティーブン・タイラーは自分のバンド「エアロスミス」への愛着を理由に、レッド・ツェッペリンとの活動を断ったと後年公表しています。
推しバンが「パ〇リ」とディスられても、気にせずかわし、バンドが3年間活動し続け、人気者になることに意識を集中しましょう。
3年間、活発な活動を続けられるバンドは少ないです。過酷な芸能界、ロック界のサバイバルレースを生き抜いたといっていいでしょう。さらに、数十年後も存在していれば、もしかしたらスーパースターになっていることがあるかもしれません。
それにしても、【エアロスミス レッド・ツェッペリン パ〇リ】のワードでググると、延々と日本のB’zの情報しか出てこないのはなぜ(笑)?