えーと、わたしに、BASEMENT-TIMES(旧「地下室タイムズ」)が見れないんですけどどうなっているんですか?と聞かれてわからないです。
『500エラー』は、ドメインやサーバーも継続していて、プロミングやデータのトラブルのはず。無事回復したようですね。
あの国がミサイルをぶち込む前に
結婚しようよ結婚しようよ
(略)
あの国がミサイルをぶち込む前に
自分の居場所は自分で守れよ
(略)
元カノのにおいが残るこの部屋
あの娘と写ったクソみたいな写真
アンタの元カノを島流し作戦
お前にミサイルぶちこんでやるぜ
浮気されて泣いた夜に
根性焼きのスタンプラリー
リストカットも一緒にしたよね
土下座もさせた夜
( from 東京初期衝動「再生ボタン」)
東京初期衝動「再生ボタン」)の歌詞には、日本のロック史においても、極めて鋭く直面する安全保障上の脅威に踏み込んだ曲ではないかとの解釈・指摘もあるやもしれません。
ミスチル(Mr.Children)の櫻井和寿さんがカバーする浜省(浜田省吾さん)の「僕と彼女と週末に」。
「僕と彼女と週末に」は、海岸を彼女の職場の嫌な上司のことや2人の将来のことについて語りながら歩く若いカップルが、投下された核兵器が起こした黒い雨に被爆する情景を通し、人類と地球にとっての『暗雲』を描写します。
一方、東京初期衝動の「再生ボタン」は、より一歩踏み込んだ『専守防衛』を主張しているのでしょうか?
リベラルな高齢者からは、「若者(10代、20代)の保守化と改憲支持云々」とステレオタイプの批判さえ受けかねない尖った歌詞です。
しかし、東京初期衝動の「再生ボタン」に表現されているパンクは、2019年の日本・東京、それも主に足立区を舞台とする等身大の若者の生活感のはず。
かつて、20歳前後に何も持たない若者の、持てる(モテる)ものに対するアイロニーを自虐的なユーモアに包んだエッセイで人気を得、やがて直木賞を受賞した現代60代になる女流作家がいらっしゃいます。
女流作家の先生は、先ごろ、メディアを通して、朝の散歩中に見かけた牛丼を食べる若者を、「貧乏くさい」とディスっておられました。
何の落ち度もなく、(彼なりに)懸命に生きている若者に対して、突如、上から目線で、「貧乏人!」、「向上心がない!」等とディスってくる高齢の成功者に対して、態度に表せなくとも、心の底から「シット!(くそったれ!)」と抗議するような、自然なパンクスピリットの発露こそ、「再生ボタン」のパンクな生活感に通じるものかもしれません。
いつの時代でも、若者にとって市民生活を脅かす安全保障上の大きな脅威とは、元カノの影やカレピの浮気であり、若い世代が経済的に安定し、平穏な生活を送れることこそが社会と安全保障上重要であることはいうまでもありません。
元カレならぬ元ミュージシャンの玉城デニー沖縄県知事が、フジロックフェスティバルに出演しトークとボブ・ディラン「見張り塔からずっと」、CCR「雨をみたかい」等を歌ったことで「音楽と政治」議論が再燃しているようです。
出来ればこの世が おどやかであれ
出来れば誰もが 幸せであれ
人が生きることは 尊くもあり罪深いものだと 思うから
( from 松山千春「生きている」)
現在、参議院議員を務める鈴木宗男さん(新党大地代表、日本維新の会所属)の盟友であるシンガーソングライターの松山千春さんといえば、選挙カーに箱乗りして選挙応援に奔走し、政治的であると指摘されることを厭わないミュージシャンとして有名です。
『出来ればこの世が おだやかであれ、出来れば誰もが 幸せであれ』
「生きている」で歌われているテーマとは、まさに『治世』であり、松山千春さんにとって、生活と政治は一直線につながっているものなのでしょう。
戦争(武力行使)とは、外交の延長であり、その決定過程はまさにギリギリの政治の意思決定です。
『島流し作戦』、『お前(元カレ?)にミサイルぶちこんでやるぜ』等の実力行使に踏み切る前に、充分な外交努力と信頼関係の回復・醸成、そして庶民・民間レベルの交流を根強く絶やさないことの重要さをも感じさせる戦後74年目の夏の東京初期衝動「再生ボタン」です。
東京初期衝動の”盛った”アーティスト写真から、パンクとオルタナ、関東(足立区)と関西(寝屋川市)の違いはありますが、インディーズ時代のyonige(ヨニゲ)を連想しました。
リンク先:
https://twitter.com/_yonige/status/559659832039313408
安全保障面ではタカ派と思わせる仕掛けの反面、佐野元春さんの「彼女」に通じるセンチメンタリズムに覆われ、東武伊勢崎線の踏切に深夜0時に茫然とたたずむ感じ・・・。
◆東京初期衝動 - 再生ボタン(MV)