東京国際映画祭TIFF2018にて、東南アジアの音楽に焦点を当てた特集プログラム『国際交流基金アジアセンター presents CROSSCUT ASIA #05 ラララ 東南アジア』が上映されました。
このプログラムの中で、ナワポン・タムロンラタナリット監督がタイでデビューから一年あまりで爆発的人気を獲得したアイドルグループBNK48(AKB48グループの海外フランチャイジー)を対象に撮影したドキュメンタリー映画 『BNK48: Girls Don't Cry』が上映されました。
映画を鑑賞した印象は、対象(アイドル)から受ける華やかな印象とはかなり違います。
『BNK48: Girls Don't Cry』は、経営学、(組織)行動科学、心理学、人類学、社会学、リーダーシップ論等の理論や方法論に通じる手法によって、タイで急成長を遂げた集団(女性アイドルグループ)に真っ向から取り組んだドキュメンタリー作品なのです。
ナワポン・タムロンラタナリット監督のBNK48のメンバー(オーディションでは30名が合格し、クランクアップ時には26名に減っていました)に対するアプローチ方法は、人類学、社会学(社会調査)等で用いられる『参与観察』法と共通です。そしてナワポン監督のインタビュアーとしての姿勢は、心理援助職に求められる『非審判的態度』を徹底しています。
『参与観察』法とは、研究対象となる集団の内部に、研究者が入り込んで内部から集団を観察する手法です。科学ですので、『決めつけをしない』『(善悪・好悪)等の判断をしない』という完全にニュートラルな姿勢が求められます。
例えば、タイ、ラオス、ミャンマーの国境周辺の黄金の三角地帯を仕切る〇〇族にジャーナリストが潜入してレポートする、アマゾン奥地の石器時代の狩猟漁労生活を維持する部族の集団に人類学者が一年間密着して研究する等の場面で『参与観察』法が用いられます。
西側のメディア(フランスのAFP通信社)も、ドキュメンタリー映画 『BNK48: Girls Don't Cry』を、『通常アクセスすることが困難な独自の文化・風習等を持った特殊な集団=アジアのアイドルグループに対して、参与観察法に通じる手法で迫った映画』(文化人類学研究系の映画?)という解釈で報じている感じです。
『これまで、誰も内部に入ることが許されなかったアジア最大のアイドルグループの内部に映画監督が一年間入り密着インタビューをした。』という点を最大の特色として報じているのです。
基本的な“ノリ”が、エンターテインメントでなく、科学(人類学、社会学、行動科学、経営学・・・)に通じる姿勢なんですよね。ナワポン監督は、学者ではないですが、ハリウッド的なエンターテインメントと対極にあるような、『人間(集団と個人)の真実を追求する』というドキュメンタリー制作方針が結果として学問(真理や法則を追究する科学)と近くなったのではないかと解釈しています。
『楽しませる』のが目的ではなく、『真理・法則』を追求するという科学(アカデミズム)と共通する姿勢がベースにあるので、アカデミックな関心のある人、ドキュメンタリー映画に関心のある人、そして取材対象であるアイドルグループBNK48やAKB48およびその姉妹グループに関心のある人以外の観客にとっては、やや敷居が高くなってしまっている点がある点はいなめません。
それと、少し感じたことなんですが、BNK48周辺って、インテリ色、アカデミック色は割と強く感じるんですよね。個別の専門職はもちろん芸能でキャリアを積み上げてきたスタフですが、運営トップが芸能界から叩き上げてきたタイプでなく、異業種出身であるところが、もしかしたらこういった一風変わったドキュメンタリーが可能になった背景にあるのかもしれません。
『真実を追求したい』という思いを持ったドキュメンタリー監督は、統制されることを最も嫌うはずで、自由度の高い取材・編集は、運営側の「こう見せたい」あるいは「こういうことは見せたくない」というベクトルとコンフリクト(摩擦)やストレスを感じかねないリスクが、企画開始当初はあったのではないでしょうか。
結果的にBNK48が商業的、社会的に大成功したため『BNK48: Girls Don't Cry』はなんとか取材フィルムをハッピーエンドのベクトルで編集する可能性が出来たと感じます。もちろん、BNK48が成功しなければ映画公開ニーズはないわけですから、成功に賭けて撮影開始したのでしょう。
※このエントリは、『総論』的なものなので、映画の具体的内容についての具体的な感想等を(2)に続ける(予定)です。
『BNK48: Girls Don't Cry』(2)