エレクトリック・ライト・オーケストラ『ELO究極ベスト』~ジェフ・リン本人が歌う「ザナドゥ」ってどうよ?

とにかく曲一杯入ってます。あの曲もこの曲も。ELO制作の曲は、TVドラマ「電車男」のオープニング(「Twilight」)や、携帯電話や井上真央さんが出演した銀行のCM(「ザナドゥ」、クレジットはオリビア・ニュートン・ジョン&ELO)等、タイアップ曲に使われることが多いので、「聞いたことがある!」という曲が次々とかかるはずです。そして、どの曲も、めちゃくちゃコスト(制作費用)をかけて作っています。ELOの全盛期は、ヒットを連発してどんどん制作費用に回して、また大ヒットを飛ばすという循環がうまくいていたのでしょう。

ELO全盛期の1970年代に、同時期に活躍した歌手兼プレイヤー兼プロデューサーであるニック・ロウ、デイブ・エドモンズ、トッド・ラングレンら玄人受けする人達を支持していた音楽ファンや批評家は、ジェフ・リン=ELOを軽くみるきらいがあったように思います。日本だったら大瀧詠一さんや山下達郎さんを支持していたメディアや批評家は果たしてジェフ・リンをどう見ていたでしょうか。

玄人受けする歌手兼プロデューサー勢とジェフ・リン(ELO)の違いは、前者が聴き手を選ぶ音楽制作をしていたのに対して、ジェフ・リン(ELO)は、3歳から80歳まで(それ以下でも以上でも可)の人間なら誰でも楽しめる音楽(ポップス)作りの姿勢に徹していたということです。だから40年たった今でもタイアップで使われ続けるのです。もし、ELOのレコードがあまり、売れなかったら、相当マニア受けする音楽家になっていたはずです。しかし、ELOは世界中でバカ売れしました。わかりやすさを徹底した音楽を世界中で売りまくった、そのことが、最盛期のELOへの音楽玄人筋からの軽視を生じさせたように思います。

ライナーノーツのジェフ・リン本人の発言を引用すると、『完成したばかりの力作に対して暗い見通しばかりを吹聴しがちな批評家たちを、困惑させるのがことのほか楽しくてね。そんな曲たちがミリオンセールスを記録したりして、そういう輩(批評家)の言うことなどそう気にしたくてもいいんだと教えられたよ。』と、批評家・メディアとの摩擦があったことを推測させる発言があります。

本当の意味で、ELO(ジェフ・リン)の評価が確立したのは、1995年から1996年にかけて、ジェフ・リンがビートルズ・アンソロジー・プロジェクトの共同プロデューサーを務めたことによってでしょう。これによってELO(ジェフ・リン)は、批評家筋が文句をつけられない存在となったのです。

『究極ベスト』、一杯曲入っているんですが、オリジナルアルバム『ディスカバリー』からの曲がディスク「1」とディスク「2」に分断されているのが違和感があるかな。他のオリジナルアルバムを一押しに挙げる人も同様に、オリジナルアルバムの曲の流れが分断されているという指摘があります。あくまでベスト盤なので、オリジナルアルバムへのガイドということでしょう。

で、「ザナドゥ」。オリビア・ニュートン・ジョンの代表曲。音楽制作(演奏)はもちろん、ELO。日本でいうと、ゴダイゴGodiego)が音楽制作したアグネス・チャンの『不思議の国のアグネス(AGNES IN WONDERLAND)』に相当するような、女性シンガーと音楽制作集団(ロックバンド)のコラボレーション。

オリビア・ニュートン・ジョン歌唱の「ザナドゥ」は当然、ELOのアルバムには収められないんですが、替わりにジェフ・リン本人歌唱によるバージョンが収められています。オリビア・ニュートン・ジョンの代表曲としてオリビアの歌唱を聞きなれている自分にとっては、結構違和感あります。まぁ、ジェフ・リンが歌っても、ボーナス・トラックならいいんですけどね。事情を知らない人が、「オリビア・ニュートン・ジョンだと思って買ったら、知らないおじさんが歌ってた」とクレームがつくレベル。オリビア・ニュートン・ジョンを、“英語圏松田聖子さん”という位置づけで捉える人もいますから。聖子ちゃんの歌が聞きたかったのに、作曲者の財津和夫さんが歌ってたというような感じですかね。

ベスト盤というのは、「かつて聞いたあの曲」が次から次へと流れてくるとことが良いところなので。自分でプレイリストを編集する時は、オリビア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」に置き換えるかもしれません。ジェフ・リン歌唱の「ザナドゥ」は、お愛嬌ということで。それくらい、オリビア・ニュートン・ジョンの歌声がしっかり記憶に残っています。それは、もちろん、オリビア・ニュートン・ジョンの魅力を引き出したジェフ・リン=ELOの音楽制作が素晴らしかったということでもあります。